2012/08/24

犬をなでる



 ずいぶん前、5月のおわりに、お台場の日本科学未来館というところへ、『世界の終わりのものがたり~もはや逃れられない73の問い』という展示を見に行った。


「世界でいちばん安全な場所はどこでしょう?」

 お台場という場所柄もあってか、国内外の観光客や修学旅行生、校外学習の生徒たちがたくさんいたのが、とてもよかった。というのも、展示にはそういう様々な人たちがそれぞれ思わず触りたくなるような仕掛けがたくさんあって、「ボールをひとつとって、置く」「マグネットを貼る」といった、ある選択を具体的な行動に置き換えるようなその仕組みは、投票所のようでもあった。


 もっとも自由な投票の形式は白紙に自分の答えを書く、すなわち「ポストイットに書いて貼る」で、これをひとつひとつ読むのがとても面白いかというとそうでもない。たまに面白い。けれど、問いに対する答えは十分に自由とは言えない。私たちは「感動をありがとう」よろしく、すでに与えられた言葉を使っているからだ。


 付箋がいっぱいになってしまわないように、剥がして回収する係の人がいる、という事実に気づいたときがとても面白かった。彼女はどういう基準をもって、「この付箋は不要で、その分のスペースを空けたほうがいい」と考えればいいのだろう。目の前でその"仕事"をしているのを見ていたけれど、ありふれた、短い、他人と同じ答えはなかったのと同じにされてしまうようだった。


 問いのひとつに、「危機がせまっていることを知ったら、残された時間でなにをしますか?」というのがあった。「残り30年」「残り1年」「残り1日」「残り10秒」
 ポストイットを一枚もらって、サインペンで「犬をなでる」と書いて、「残り10秒」の列に貼った。 それは別によく考え抜いたわけでも奇をてらった訳でもなく、何となく思いついたものだったのだけれど、書いて貼ってそれを眺めたときに、なんだか急にしっくりきた。私は私の「犬をなでる」ということについてこんな風に考えているのです、というひょんな表明が、ぼく自身を感化して、こういうことってあるんだなあ、と思った。



 ぼくの家の犬はいま8歳で、だから「シニア」と呼ばれる領域に入ってきた。誰がシニアと言うのかというと、エサの袋に書いてあるのだ。「シニア(8歳〜)」。
「8歳〜」の波線のその先がどこまで伸びているのかはわからない。それに、彼女が足をぱたぱた動かしたり寝言を言ったりして眠っているとき、どんな夢を見ているのかを私は知らない。あとなんで急に機嫌が悪くなるのかも未だにぜんぜん掴めない。まだまだなんにも知らない。ずっとわからない。
 もし世界が残り10秒で終わるとして、もし可能なら(もしいやじゃなかったら)、私は犬をなでる。
 ぼくの犬はぼくにとって、そういうもんである。

知らないひとが家に来るとほぼ100%噛みにくる。おそろしい。