2015/08/02

ミューズを信頼してしまう

 小学生の頃、臨海学校という行事があった。学校によって「臨海」ではなく「林間」学校であったりするのだと後から知ったのは確か家の近くのプラネタリウムで上映される映画を見ていたときのことだったけれど、みんな自分と同じ経験をしているという誤解は幼い頃からゆっくり時間をかけて順々にとけてゆき、その度に新鮮な驚きがある。
 夏の朝早くに東京駅のはずれ、京葉線のりばの近くにリュックを持って集まって座り、あれこれと説明や点呼があった、はずだけれど今となってはあの座って(椎名誠のエッセイを読んで)待っていた時間だけが記憶にある、あとで特急列車に乗り込み、房総半島の突端のあたりにある臨海学校に向かうのには最寄りの駅からさらにバスに乗るほどの距離を歩く必要があった。臨海学校というのは行事の名前であって建物の名前はそれとはまた別にあるのだけれど、とりあえず名前は書かないことにしよう。その建物は古く、木造で、何に似ているかというと戦争ドラマの背景に出てくる学校の校舎を白く塗ってから時間がだいぶ経ったような感じ。大部分は平屋だけれど大きな食堂だけに二階があって、その階段を登った先には大人たちの泊まる冷房の効いた部屋があると専らの噂だ。子供たちは畳敷きの部屋で皆大人しく眠る。窓は大きく、建物が校舎だとすればちょうど校庭みたいな大きさの枯芝の庭の向こうには松林があって、その向こうからは波の音が聞こえてくるので海が思いのほか近いことがわかる。