2016/08/06

吉増剛造展のことは結局ツイッターに書かなかった

 吉増剛造展に行って、閉館時間をやや過ぎて出て、駅のほうに向かって橋を渡ったあたりでぼおっとしてたら吉増さん本人が通りかかって、何にも言えずに口が開いちゃうような感じで後ろ姿を見送った。この気分には名前がつかない。ともあれ歩いて帰る気力が全くなくなったので地下鉄で帰ってきた。

 この夏何度か行くのは間違いないが、私は毎回ぶっ倒れそうになるだろうなあ。介添人がいてほしい。そんなことを言ってまた一人で行くんだけど。あとね、3時間じゃ足りなかったです。映像が全部見られないのと、最後の空間にもう少し時間が必要だった。

 何日か前、この夏は詩と音楽の季節だ!と友達に宣言した途端にまったく別の友達から詩を書くよう頼まれて、びっくりしたのだけれど、本当にびっくりの反動で寝込んでばっかりになりそうだ。吉増さん、(飴屋さんも)裂け目なんだよ。笑ったり理屈を言ったりしてられない。魅力も、ダメージも…

 展示の中に、吉増さんがまだ二十代の半ば、大岡信にあった日のノートがあって、吉増さんと面と向かったときに自分が自分に対して受けたあの感じがそのまま言葉にしてあるようだった。

 クラスメイトに「詩人だねえ」と言われたら顔を赤くして黙り込むしかないけれど、詩人に「詩人だねえ」と言われたらどうすればいいんだろうねえ。

 多分忘れちゃっているしぜんぜん相手のことなんて思いやったりしてない、ような、ふるまいのほうが信用できるときがある。大江戸線のベンチシートで話した十五分や清澄白河のSNACでのいくつかのやりとりは、いまでは預言めいて、分岐点に立つといつも影のようにちらついている。