2015/01/20

三たび日記を

 もう何度目のことかわからないが日記を書こうと思う。といって今日のこと、きのうのことを事務的に書くのではなくて、折にふれて自然と貯め込んでいたようなことを並べて確かめるようなことをしたい。
 改めて書くけれど、もう何度目のことかわからない。日記を書きはじめたときにはいつもきちんと日付が残っているけれども、気がつくと断ち切れている。毎回習慣化するに至らない。いつの間にか億劫になったりどこかに数日出かけているうちに記録を遡る手だてを失っていたりして、あるいはそんなようなこともいちいち気にも留めずに、日記は止めになっている。日記はもう止めにしようと思ったことはない。ただ止めになっている。
 タイトルに三たび、と書いたのは、ただの語呂の良さから選んだことばで、つまり、とっさの嘘なのだけれど、あらためて考えてみると、このノートパソコンで大震災の数日前から書かれはじめた日記はおそらく、その年の夏、父方の祖父が亡くなって東京を離れていた数日のうちに一度途切れて、数年後あらためて何かの折に書き始めたもののやはり終わり、こうしてまた書かれようとしているわけで、「(このパソコンでは)三たび」ということなのかもしれなかった。