2015/12/19

6人のうち2人とは初対面の忘年会の中華料理屋の回転する部分のついていない円卓で考えた話

 「まもなくちょうど外国へ行くという友人の壮行会を兼ねた忘年会」にお呼ばれしたのだが、その主賓の方と会うのは初めてなので、一体どうしたものかと思いながらも他にすることもなく大皿いっぱいの食べ物を無心に食べすすめていると、彼はすこし遅れてやってきて手早く飲み物を頼んだあとおもむろに立ち上がって挨拶をはじめた。3分くらいで終わります、と言って本当に3分くらいしゃべる。それも壮行会の別れの挨拶あれこれというんではまったくなくて、「忘年会」という言葉から出発して暦や年末についての感慨や考察を述べている。虚をつかれて目を丸くしている私も含めて、座っている我々ひとりひとりにゆっくり目を合わせながら、ごく個人的な考えを話し、事物とその人との距離を明らかにするそのさまに、私はすっかり心打たれた(そしてそのスピーチの中身はほとんど忘れてしまった)。これこそ、何かを作る人の態度だ、と。この人は、手を動かすことを習慣としている。自分自身を主役にするのではなく、分け合うことの出来るなにかを差し出している。ずれているかずれていないかを問題にすればきっと後景に退くささやかだが確かな美点は、どこに行っても、燦々と輝くんだろうなあ。それが世間の中でひっそりと見えるかどうかは、気になるし、お金の話に直結するけれど、本当は、別にいいんだよなあ。いいといいんだけどなあ。と思いながら早速彼の作品をひとつ買った。
 (この考えが右往左往している風景にはなんだか見覚えがあって、『美術館を手玉に取った男』について考えたときに似ている。軽やかな映画だけれど、「美術」や「オリジナリティ」以上に「生きるよろこび」の問題を扱っているように、ぼくには見えた。)

2015/11/28

「石には念がこもっている」説

 ときどき石を拾ってきてしまう。とはいえあくまでときどき、それもよほど何となくが極まっての行動だから、三、四個、海辺で拾ったガラス片と一緒にごろごろと、100円ショップで買った小さな木の皿に乗せてある。あらためて見たり触ったりすることもないから、普段は棚にしまってあって、部屋のあのカーテンの向こうに石がある、ことだけが記憶の中にはある。

 石を拾ってきてはいけない、なぜなら石には念がこもっているからだ、と誰かが誰かに話しているのを小耳に挟んだ。ずいぶん前のことで、それがどういう経緯で話されたのかとかどのくらい真剣な話なのかみたいなことはさっぱりわからないけれども、わからないからかえってその言葉はもうはっきりと決まったことのように思える。それは誰の(何の)どんな念なんだろう。誰がその念の存在を言い伝えたんだろう。最初にそう言い出したのは誰だったんだろう。

 眠りそびれた夜、石はカーテンの向こうにある。そのことは知ってる。何となく拾った石のふるさとはもう忘れてしまったから返しに行くこともできず、果たしてその石たちをこめられた念ごとその辺の道ばたに投げ捨てていいのか、投げ捨てたほうがいいのか、別にこのままでいいのか、わからないまま、真夜中、石と、カーテン越しに、同じ部屋に、横たわっている。

2015/11/20

わざわざ書くようなこと

 わざわざ書くようなことなのか、と思うようなものごとを画面の上で目にする機会は結構あって、それは何故かといえば、わざわざ書く人がいるからだ。

 ところで、書くほどでもないことを書き留める人がいなければ、書くほどでもなかったことは目に見えなくなる。記憶からなくなるかどうかは場合によるので、消える、とまではいえないけれど。忘れるかもしれない。少なくとも、なんとなく、目に見えにくくなる。

 最近、書くほどのことかどうかを考えるのは余計なことだと思うようになった。たいしたことを書く必要はないんじゃないか。
 ブログにしても手紙にしてもメールにしても、何かたいしたことを書きたがっている自分がいて、いま改めてわざわざこんなことを考えているのも、素直な部分からというよりはやっぱり「たいしたこと」を探しているせいで、だから本当はもっと別のことを書けばいい…という判断をしているのも「たいしたこと好み」から出発している。「たいしたもの好みする自分」はたいしたことないことをすぐに消してしまう。そういうわけで、今、消さないで書いておくことにした。
 考えてみれば自分の過ごしている時間の大半はたいしたことないんだから、それを消しちゃうのは親や空気をないことにしているようなものなんじゃないのか、等々、うっかりするとまた何か大したことの話をし始めるかもしれないので、ここで終わっておこう。
 「たいしたもの好み」は油断ならない。おしまい。

2015/08/02

ミューズを信頼してしまう

 小学生の頃、臨海学校という行事があった。学校によって「臨海」ではなく「林間」学校であったりするのだと後から知ったのは確か家の近くのプラネタリウムで上映される映画を見ていたときのことだったけれど、みんな自分と同じ経験をしているという誤解は幼い頃からゆっくり時間をかけて順々にとけてゆき、その度に新鮮な驚きがある。
 夏の朝早くに東京駅のはずれ、京葉線のりばの近くにリュックを持って集まって座り、あれこれと説明や点呼があった、はずだけれど今となってはあの座って(椎名誠のエッセイを読んで)待っていた時間だけが記憶にある、あとで特急列車に乗り込み、房総半島の突端のあたりにある臨海学校に向かうのには最寄りの駅からさらにバスに乗るほどの距離を歩く必要があった。臨海学校というのは行事の名前であって建物の名前はそれとはまた別にあるのだけれど、とりあえず名前は書かないことにしよう。その建物は古く、木造で、何に似ているかというと戦争ドラマの背景に出てくる学校の校舎を白く塗ってから時間がだいぶ経ったような感じ。大部分は平屋だけれど大きな食堂だけに二階があって、その階段を登った先には大人たちの泊まる冷房の効いた部屋があると専らの噂だ。子供たちは畳敷きの部屋で皆大人しく眠る。窓は大きく、建物が校舎だとすればちょうど校庭みたいな大きさの枯芝の庭の向こうには松林があって、その向こうからは波の音が聞こえてくるので海が思いのほか近いことがわかる。

2015/07/05

【出演情報】2015/6/27(土)〜7/5(日)水素74%+三鷹市芸術文化センター『わたし〜抱きしめてあげたい〜』

【出演(舞台)】

2015/6/27(土)〜7/5(日)
水素74%+三鷹市芸術文化センターpresents
太宰治作品をモチーフにした演劇公演 第12回
『わたし〜抱きしめてあげたい〜』
(脚本・演出:田川啓介)
会場:三鷹市芸術文化センター 星のホール
詳細:http://www.hydrogen74.com/

※無事終演しました。ありがとうございました!

2015/03/04

『30光年先のガールズエンド』共通チケット、抽選受付中

 ジエン社『30光年先のガールズエンド』(4月8日〜12日)は「早稲田どらま館フェス」の一環として行なわれます。プレオープン公演としては他に、早稲田出身の劇団として第七劇場ろりえの公演が予定されております。枚数限定でお得に見られる三団体共通チケット(6,000円)はこちら、早稲田大学のフォームから抽選のお申し込みを受け付けているようです。



 このところ何度か早稲田に足を運ぶ機会があったのですが、真新しいどらま館の黒っぽい建物はすっかり出来上がっているようでした。ずっと変わらずあるお店たちをサンドイッチする周囲のチェーン店の移り変わりは激しく、歩いていて懐かしいというよりはどうも卒業しそびれちゃったような不思議な気分でしたが、学生街は新入生まみれの四月、迎える本番が楽しみです。新入生用の無料券もあるそうで、客席も一種特別な空間になっているんじゃないかしら。

2015/02/28

最近のこと

※新宿武蔵野館での上映は終わり、今後は東京近郊だと新宿K's cinema、横浜ジャック&ベティ、
下高井戸シネマ等で上映されるようです。

とか書いていたらあらすじがpdf化されており、ほろ苦クレーマー気分。
それにしたって長い文章は光る画面より紙のほうが読みやすく、
印刷してやっと全体を読み通しました。
あらすじによれば、今回は18歳と30歳の奇妙な往還を推進力にお話が進むようですが
(脚本からはまだその核心は読み取れない)、
ジエン社の第一回公演に出ることになったのは私がそういえば19歳のときだった。
せっかくなので追って何か書くつもりです。
現在リハーサル中。

2015/01/20

三たび日記を

 もう何度目のことかわからないが日記を書こうと思う。といって今日のこと、きのうのことを事務的に書くのではなくて、折にふれて自然と貯め込んでいたようなことを並べて確かめるようなことをしたい。
 改めて書くけれど、もう何度目のことかわからない。日記を書きはじめたときにはいつもきちんと日付が残っているけれども、気がつくと断ち切れている。毎回習慣化するに至らない。いつの間にか億劫になったりどこかに数日出かけているうちに記録を遡る手だてを失っていたりして、あるいはそんなようなこともいちいち気にも留めずに、日記は止めになっている。日記はもう止めにしようと思ったことはない。ただ止めになっている。
 タイトルに三たび、と書いたのは、ただの語呂の良さから選んだことばで、つまり、とっさの嘘なのだけれど、あらためて考えてみると、このノートパソコンで大震災の数日前から書かれはじめた日記はおそらく、その年の夏、父方の祖父が亡くなって東京を離れていた数日のうちに一度途切れて、数年後あらためて何かの折に書き始めたもののやはり終わり、こうしてまた書かれようとしているわけで、「(このパソコンでは)三たび」ということなのかもしれなかった。