2015/01/20

三たび日記を

 もう何度目のことかわからないが日記を書こうと思う。といって今日のこと、きのうのことを事務的に書くのではなくて、折にふれて自然と貯め込んでいたようなことを並べて確かめるようなことをしたい。
 改めて書くけれど、もう何度目のことかわからない。日記を書きはじめたときにはいつもきちんと日付が残っているけれども、気がつくと断ち切れている。毎回習慣化するに至らない。いつの間にか億劫になったりどこかに数日出かけているうちに記録を遡る手だてを失っていたりして、あるいはそんなようなこともいちいち気にも留めずに、日記は止めになっている。日記はもう止めにしようと思ったことはない。ただ止めになっている。
 タイトルに三たび、と書いたのは、ただの語呂の良さから選んだことばで、つまり、とっさの嘘なのだけれど、あらためて考えてみると、このノートパソコンで大震災の数日前から書かれはじめた日記はおそらく、その年の夏、父方の祖父が亡くなって東京を離れていた数日のうちに一度途切れて、数年後あらためて何かの折に書き始めたもののやはり終わり、こうしてまた書かれようとしているわけで、「(このパソコンでは)三たび」ということなのかもしれなかった。




 日記1

 きちんと調べればすぐに出てくるのがパソコンのおそろしいところで、記憶はほとんど間違っていたのだった。まず日記を書き始めたのは震災の前ではなくておよそ1ヶ月後だし、それが途切れたのは祖父の死に伴う小旅行よりも二週間ほどあとのことで、しかも文章が書きかけで終わっているのではっきりと日付がわかる。「日記(2011年)」は2011年4月10日に始まり、同じ年の8月17日に終わる。とにかく間の抜けたことをたくさん書いているけれど、それがそのときの自分によって書かれていることもただただ確かである。誰に読まれるわけでもないのに、とにかく不安そうに、気取りながら、書くことの落とし穴に陥りながら、書かれた日記のおかげで、なぜ人目にはさらさない日記を書くのか、どこに行って何を見たのか、何に不安を感じているのか、といったことがこの時期に限ってはわかるようになっている。
 例外は終わる間際、「8月8日〜16日」とまとまった日付のあとにはただ一言「あとで書く。」と書かれているのだけれど、そのあとにいるはずの私にはその9日間のことがもはや書けない。
 8月17日、東中野で吉増剛造さんと話した日について書く日記は書き出しのところで「それから、」と、途切れている。

 日記2

 日記が再開されたのは2013年の12月4日、演劇のリハーサルが急遽なくなったその日には国会議事堂をデモ隊が取り囲んでいたらしい。ここでも日記を書きはじめる動機は端的に書かれている。約束のない時間がぽっかりと生まれ、だからといって誰に連絡するわけもなく日記を書きはじめてしまった、というようなことだ。
 しかしこの日記は数日をおいてわずかにもう一日分、12月7日書かれたのを最後に再び途切れる。

 日記3

 2014年の7月に日記は唐突に再開される。なぜ復活したのかは書かれていない。今度は日記について考える日記というよりは記録としての側面が強い。たとえば見た夢のこと、現実に起こったこと、それについて考えたこと。この人の中には相変わらず怒りのようなものがある。そのときどきの判断めいた一言はちっとも面白くないけれど、うまく現れてきていない何かを期待したくなる。10月末にこの日記も終わる。こんなに最近まで日記を書いていたことすら私は忘れている。

 日記4

 11月の後半から家に祖母が転がり込んできた。あきらかに認知症のおばあさんは、今がいつなのかどこにいるのかもわかっていない。おばあさんの書く日記は昨日書かれたことのコピーである。紫色のノートに、どうにかぼろが出ないように、前に書いたことをよく読んで、それと同じことを少しだけ違う書き方で、書く。だから日記の中では毎日いいお天気で、日記の中のおばあさんは明日がいい天気であることだけを、祈る。記憶の中でずっと70歳、ずっと春を過ごすおばあさんは、古くなった化粧品の油のような匂いがする。

 2015年1月19日(月)

 たいへん長いこと読みさしになっていた室生犀星の『我が愛する詩人の伝記』を読み終えた。それから、自分がコンピューターゲームに完全に飽きたことに気がついた。フリーマーケットに参加するやらしないやらと考えているうちに何故か参加することになってしまい、自分のうかつさならびにFacebookの仕組みとそこに埋め込まれたなし崩し精神に腹を立てつつも(やはりFacebookなんかやめてやりたい!いいね!)、売る物がなくて困っていたのだけれど、ゲーム一式を売ったらいいんじゃないかと思う。ただそれって「その人らしさが出ている」とか「愛着があるけれど使わないものを次の誰かに手渡す」とかいう確かなテイストからは完全に外れており、というかテイストで言うならブックオフに売れよって話であって、「やっぱりフリーマーケットに売るものがない」とするのが大人だろう。それか以前河川敷で拾ってきた小石を売るか…
 ベーコンエッグ終了後からずっと続いていた考えるのも億劫という状況からようやく抜け出ただけでも当人としてはマシなのだけれど、連絡の期限はとっくに過ぎているのだった。まいった。

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