2015/11/20

わざわざ書くようなこと

 わざわざ書くようなことなのか、と思うようなものごとを画面の上で目にする機会は結構あって、それは何故かといえば、わざわざ書く人がいるからだ。

 ところで、書くほどでもないことを書き留める人がいなければ、書くほどでもなかったことは目に見えなくなる。記憶からなくなるかどうかは場合によるので、消える、とまではいえないけれど。忘れるかもしれない。少なくとも、なんとなく、目に見えにくくなる。

 最近、書くほどのことかどうかを考えるのは余計なことだと思うようになった。たいしたことを書く必要はないんじゃないか。
 ブログにしても手紙にしてもメールにしても、何かたいしたことを書きたがっている自分がいて、いま改めてわざわざこんなことを考えているのも、素直な部分からというよりはやっぱり「たいしたこと」を探しているせいで、だから本当はもっと別のことを書けばいい…という判断をしているのも「たいしたこと好み」から出発している。「たいしたもの好みする自分」はたいしたことないことをすぐに消してしまう。そういうわけで、今、消さないで書いておくことにした。
 考えてみれば自分の過ごしている時間の大半はたいしたことないんだから、それを消しちゃうのは親や空気をないことにしているようなものなんじゃないのか、等々、うっかりするとまた何か大したことの話をし始めるかもしれないので、ここで終わっておこう。
 「たいしたもの好み」は油断ならない。おしまい。

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