2021/12/17

【出演情報改め演出情報】ジエン社「自作自演版『何もしない園』」2021.12.22-26@神楽坂セッションハウス

【※公演内容が変更されました(2021.12.15時点)】
 2021年12月22日(水)〜26日(日)に上演予定のジエン社『何もしない園』について、当初予定されていたものから内容が変更されることとなりました。

 ジエン社本公演として山本健介演出による『何もしない園』の上演を行うのではなく、その代替イベントとして、演出と出演の役割を交代しての「自作自演版『何もしない園』」のパフォーマンスと、各回ゲストを招いてのトークを行います。

この変更に伴い、今作品では、善積は出演せずに、パフォーマンスの演出を行うことになります。(トークには出ます)

*またこの変更に伴い12月19日(日)夜の部にジエン社として参加予定のHiraoyogi Co. x BITE presents Audi-torium vol.1"きれいに晴れわたった、しんとした朝"につきましても、「自作自演版『何もしない園』の前半部分」に内容が変更されております。

■「自作自演版『何もしない園』」

演出:善積元
演出補佐・出演:高橋ルネ(青年団)
脚本・出演:山本健介

公演の内容は変更となりますが、開催の日程・会場は以前のお知らせと変わりなく行われます。

▼会場
神楽坂セッションハウス2階ギャラリー
東京都新宿区矢来町158
https://session-house.net/map_access.html

▼タイムテーブル
2021年12月
22日(水)19:00
23日(木)19:00
24日(金)14:00
25日(土)14:00 / 19:00
26日(日)14:00
*受付開始、開場は各回開演の30分前
パフォーマンスは60分、トークは30分、全体で約90分を予定しています。

▼チケット
チケットにつきましては、
入場料1000円(18歳以下は入場料無料)とさせていただき、別途投げ銭も受付させていただきます。
ご予約はこちらからどうぞ→https://torioki.confetti-web.com/form/1517
☆ライブ配信も行う予定です。詳しくは後日お知らせ致します。

▼トークゲスト
22日(水)19:00 綾門優季 様
23日(木)19:00 上村聡 様
24日(金)14:00 徳永京子 様
25日(土)14:00 園田喬し 様
25日(土)19:00 佐々木敦 様
26日(日)14:00 宮崎晋太朗 様
以上の皆様にご登壇いただきます。

▼スタッフ
舞台監督:吉成生子
音響:田中亮大(Paddy Field)
照明:みなみあかり(ACoRD)
配信:児玉健吾(かまどキッチン) 
ビジュアル撮影:刑部準也
ビジュアル作成:合同会社elegirl
Web:合同会社elegirl
制作:加藤じゅんこ
主催:The end of company ジエン社
協力:青年団、Paddy Field、ACoRD、かまどキッチン、ECHOES
助成:ARTS for the future!

公演内容の変更に関する経緯や、変更に伴うチケット払い戻し等に関するお問い合わせは、ジエン社ウェブサイトをご覧ください。

善積による「演出準備ノート①」はこちらからご覧いただけます。

◆なぜ「自作自演版『何もしない園』」なのか? ーとにかく急いで書かれた演出準備ノート①ー

◆なぜ「自作自演版『何もしない園』」なのか?
ーとにかく急いで書かれた演出準備ノート①ー

 ある日、何も言われぬままいつも通り集まった稽古場で、今回は公演を中止したい、と言われた。ある日、と、もったいぶってみたが、今日だ。12月6日。

 「いま誰か他人を巻き込むことが、演出が、できない、そもそもずっと、目の前の人が見れてなかった、そのことにすら気づいてなかった。」そう言ったジエン社主宰・山本健介氏(以下、ヤマモト氏と書く)の手には、その日の昼間に書かれたばかりの『何もしない園』の登場人物にまつわるサブテキスト(人物像や背景を描いた説明文。前の日に俳優たちが書くことを提案してみた)が握られていた。A4いっぱいにびっしりと、2ページ分。



 ヤマモト氏の言うことをひとまずそのまま受け取ってみる。もしほんとうに"目の前の人や出来事が見えず、いま演出家としての役割が十分に果たせなくなっている"人が、それでも自分の演出する演劇の上演のためと信じてひとかたまりの文を書き続けたのだとして、つまり、そもそも、そのテキストはいったい何のために書かれたのだろうか? 描かれた登場人物のため? 実際に上演を成立させるはずの出演者と観客と舞台空間とを見ないまま書かれ、それらが演出によっても見出されないのなら、おそらくその言葉は、書き手の思う"演劇"と書き手本人とのあいだに、宙ぶらりんに、浮かんでいる。

 『何もしない園』は、架空のNPO法人が運営する「何もしない園」("何もしない"ことを可能にし、推奨する施設)を舞台に、そこに集まる入所者や働き手、あるいはその同居人など、たくさんのキャラクターたちの言動を、主要な人物のセリフと時折挿入される間接話法を通じて、少ない人数で演じ分けて表す構想で書かれた戯曲である。というのがごく表面的な説明になるのだが、人物同士の会話はところどころ破綻しており、だからといって人物一人だけを追いかけてもなぜだか一貫性に欠け、人物たちの違いはともすると不明瞭にもなり、場面と場面は頻繁に断絶した。時間と場所はしばしば無鉄砲に変更され、そもそも「何もしない園」がいかなる園であるのか、と言えば、ひたすらどこかぼんやりとしていた。
(これは余談ですが:これまでも、ジエン社の作品で時間や空間の歪みを舞台上に表出させることはしばしばあったけれど、おそらく確からしいと思われる時間や場所が錨のように配置されることで、そのとき・その場所との関係から"舞台上で起こること"や"結局は舞台上で大したことが起こらないこと"になにかを見いだすことができたように思います)

 稽古場で日々、俳優たち(私と高橋ルネさん)は考えていた、が、考えあぐねていた。演じるにあたっては、場所や人やセリフそのものについて、それがどんなものなのか、なんらかの仮説を立てなければならない(精度はさておき)。しかし台本の上におおよそ成り立つような仮説は見つからず、だからといって書かれた言葉やキャラクターとあえて距離を置いたまま演じて見せても、演出家・ヤマモト氏はセリフの細部のニュアンスや演じられるべきキャラクターの設定の一部分について繰り返し話すばかりである。かくして、二人の俳優はそれぞれ、あるキャラクターとしてそこにいることも、あるいは一パフォーマーとしてそこにいることも、困難な状況となった。暗中模索の中、一瞬一瞬だけを成立するように振る舞うにしたって、そもそもここはどこで、ここにいる二人は誰なのか? さらにさかのぼれば、このテキストに、演出に、ほんとうにここにいることを要請されているだろうか?

 自分で読む分には「(筋が)通っているんだよなあ」とヤマモト氏は言う。一方、私には、これはほとんど夢なのではないか? という感覚があった。他者をはじき出す、たった一人の見ている夢。書き手の書きたいことが連なる世界には、眠り手の脳のなかで生成される夢には、絶対的な他者が現れない。「社会」はあくまで書き手にとっての、眠り手にとっての、社会。「他人」は自分で、「あいつ」は俺。A地点からB地点へ、眠り手だけが夢の地図を持っている。自分の作り出した分身との会話は続く。いつまでも飽きずに他人(自分)の話を聞いてられるあいつ(俺)。

 夢を説明することは可能だが、結局いつだって夢の実感とはかけ離れている。夢占いが落ち着かせてくれるのは解釈不能なものを生み出した自分自身への不安だけだ… 最後に書き換えられたページの中で、登場人物たちは「すみません」と「大丈夫」をたくさん、言い合っていた。



 私はこのようなリハーサル期間を経て、『何もしない園』をぼやけたキャラクターたちのしずかな狂想曲として捉えるのではなく、一人の人間のありさまとして、読むことにした。で、その読みに従えば、作者自身による自作自演がいっとう素直な選択だと思われる(もともとヤマモト氏はジエン社旗揚げ以前に一人、「自作自演団ハッキネン」を名乗ってパフォーマンスをしていた)。ひょっとすると『何もしない園』が必要としていたのは俳優として演じる他者の身体ではなくて、観客として見聞きする他者の目と耳だけだったのかもしれない……

 あくまでヤマモト氏にとって「通っている」言葉の連なりの中に、2021年の、いまの、一人の人間の孤独と孤立を、私は見る。そこには、なにかがある。単なる気分以上のなにかが。少なくとも、たしかに、人が、いる。(……では、人は、何によって孤立させられているのか……?)このテキストの面白さ、恐ろしさは他人によってどうにも演じられないことにある。と私は仮説を立ててみる。いつものやり方で。いつもとは少し違うやり方で。

2021年12月7日
善積元


☆ジエン社「自作自演版『何もしない園』」パフォーマンス&トークの詳細はこちらから
(12/22-12/26、神楽坂セッションハウス2Fギャラリーにて開催)

☆同作品の前半部分が上演される予定のイベント、Hiraoyogi Co. x BITE presents Audi-torium vol.1
"きれいに晴れわたった、しんとした朝"の詳細はこちらから
(12/19夜の部に参加、in the house(西早稲田)にて開催)

2021/12/16

【出演情報】『何もしない園』リーディング公演の収録映像配信されています(2022年1月29日まで)

 この夏、豊岡演劇祭の中止に伴って、急遽東京での「スタジオに観客一名だけ招いて行うリーディング公演」として上演された「『何もしない園』リーディングバージョン」のアーカイブ映像配信が開始されました。

チケット発売:12月4日(土)19:00〜12月30日(木)23:59まで。
視聴期間:12月5日(日)0:00〜2022年1月29日(土)0:00まで。
チケット:1650円(税込)
*戯曲データ付き視聴券です
*チケット購入には別途手数料あり

端的にGACKT

  端的に書くと、とそれなりに真面目な文を書き始めようとしたら「端的にGACKT」になってしまって一瞬でちゃんと書く気力が消失したよ!

 iOSの予測はしばしば固有名詞、というか有名人のお名前に甘すぎませんか?せめて知人友人の名前や地名を優先してほしいよ。GACKTさんはぜんぜんいいけど、マジでNGワード指定したい名前いくつかある。って脱線著しいな!稿を改めて書きますわい。

 というレベルのこともブログに書いていくことにします。大変革だ!

2021/11/26

「このごろ何してた?」1「黙ってた」

 出演情報ばかり載せるのも味わいがないし、そもそも宣伝目的でブログを開設したわけでもなかったし、と考えはじめると、ここ数年の、当ブログ?のありさまはいったい何だったんだろう、と反省しなければならない。村上春樹の初期の小説にはあからさまに表現にまつわる表現がいくつか出てきたと記憶していて、いずれも〈ぼく〉の友人である〈鼠〉が言うセリフだったように思うのだけれど、黙っているのがクールか、と言えば、もし年中霜取りが必要になる冷凍庫をクールと呼ぶならクールなんだろう、とか、思念でいっぱいになっているにもかかわらず表現する出口を持たないのは、地獄だ、とか、うろ覚えの内容だけをざっくり取り出せばそういう感じ。最低限の誠実さとして、せめて文庫本を引っ張り出して引用するべき場面だと自分でも思うものの、わたしの部屋の本棚は詰め込んだ本の重さで少しずつ横板が広がって棚板が落ち、壊れかけているのだった。この夏、本棚から本を少しずつ出してなんらかの対策をしようとしていたのだけれど、途中でちゃんとやる気を失って、現在はどうにか形を保った本棚の前に大きさもバラバラの本で出来た不安定な塔がいくつか雑然と積み上がっている。季節は冬になろうとしている。(後日、万が一真面目に探すようなことがあれば、ここに引用を挿入する)

 ともあれ、もはや黙っていられないなら、話すか書くか、するしかない。おおきな影響力を持つようになったソーシャル・メディアの中には、黙っているひとはいない。というか、可視化されない。だけど、わたしは、ほんとうは、黙っているひとの言葉を読みたいし聞きたい。それはそれでまったく勝手な話ではある。「空白」「不在」扱いされる黙っているひとたちの言葉や沈黙の代わりに、何が流通するかと言えば、自分の存在や能力や立場や影響力をアピールしたいひとの言葉(あるいはその代弁者による代弁)、いいことを言いたがるひとの言葉、寂しがりのひとの言葉、書き手の想定する大半の人間にとって「よい」「おもしろい」「気分のよい」「役に立つ」「安心できる」「必要な」「広めるべき」出来事や情報…わたしが(あなたが)ほんとうに目にしたいのは、接する必要があるのは、世界の主要な成分は、そういうことだったっけな? という疑問は、たとえばテレビでひたすら情動的な光景をあたかも公に報じる価値のあるニュースであるかのように取り扱っているのを疑わしく思うのと同じくらい、怪しんでおきたい。よかれと思って、どんなことに加担しているのか、いつも考えておきたい、と思う。一見たしかに正しかったことすら、システム上、注目と拡散を巻き起こすちょうどよい刺激物として取り扱われてしまうんだから。たとえば遠くに住んでいるふるい友達に、目的のぼんやりした旅行のついでに会って、ごはんを食べてとくに意味のないことを話すような時間が、圧倒的にない。人間はその身体から切り離された顔と名前と言葉として流通する。閾値を超えず、書かれず、残らないものが、ないものとして取り扱われる。
 だから、逆に今、ブログだ。反逆の長文ブログ。ノット・ソー・ソーシャルだ。正真正銘の不要不急。【拡散希望せず】である。おまけに紙幅はいつまでも尽きない。これといって役に立たず社交的でもなくなんだかよくわからない文章をせっかく書ける場所がこうしてあるのだから、黙っていられない以上は、ともかく書けばよろしい。読むかどうかはこれを目にしてしまったひとに任せればよろしい。仕事でもなく、サービスですらない。もし一人で日記帳に書いているのではその反逆すら見えないので、こうして見えるところに書き残しておく…ことにする。


 来月『何もしない園』という演劇に出演する(ので、その詳細はまた近いうちに掲載するつもり)。「何もしない」というのは実に観念的な言葉で、誰しもたぶん中学生ぐらいまでのあいだに一回は、人間は結局「何もしない」なんてことはできない、とつい考えてしまうんじゃないかしらと思うけれども、特に昨年・今年とCOVID-19の影響でステイホームせざるを得なかった多くのひとにとって「何もしない」は、それぞれの具体的な時間を想起させるような言葉になったんじゃないか。とはいえ「何もしない」という言葉と「何もしない」時間のあいだには大きな隔たりがある。その時間のなかでほんとうに何もしていなかったわけではないのに、「何もしない」としか呼びようがないような気持ちがあった。つまり「何もしない」かどうかを判断する中に、どうやらなぜか呼吸とか鼓動とか食事とかトイレとかゲームとかは含まれていない。それで、いま、表現の中で「何もしない」を取り扱うってどういうことなのか。たとえば「何もしない」ことで「何もしない」を表現することなんてできるだろうか。言葉と時間ぐらい違う。なにしろ『何もしない園』は演劇作品であって、少なくとも現段階では、台本があり、行動を指定するト書きがあり、言わなければならないセリフがあるわけで、出演者はそのタイトルに反して絶えず何かしていなければならないはずだ。私がほんとうに知りたいような、黙っているひとの時間に触れるチャンスははたしてあらわれるのだろうか。それとも「何もしない」と言ってしまいたくなる気分を元手に、あくまで何かをしている様子をアピールするようなことになるのか。もし後者になるならば、すでにそれなりに近しい感覚や思考を持つ人たちの気分の再確認以上のことは起きるだろうか。

 「何もしない」について考えるにあたって、この約二年、それからさらにその前の、ソーシャル・メディア上にほとんど何も書かなくなった一年数ヶ月のあいだ、自分がいったい何をしていたのか、書いてみようと思った。とりとめなく考えごとをしてるだけの人、はほとんど何もしていないように見える、し、そもそも大半の人目に触れない。「何もしない」の裏側に何があるのか、あったのか、記憶や思考のなかをツアーしてみよう。ともかく私は長いこと黙っていた。つづく。

2021/06/07

グーグルフォーム句会をやってみる

久しぶりに句会を開くことにしました。

集まらずしゃべらずスケジュール合わせずのお気楽スタイル、ということで、グーグルフォームを使って、投句(俳句を作って集める)と選句(集まった俳句を誰が作ったかわからないようにしてそれぞれ選ぶ)をやります。
(メールだと、誰が作ったのかを見ずに編集するのが難しくて…わたしも誰の句かわからない状態を楽しみたい!ので今回はフォームを作ってみました)

参加に必要なのはまず俳句を3つ考えること!
つぎに人の俳句から気に入ったのを3つ選ぶこと!だけです。
投句の〆切はひとまず6/15(火)です。
どうぞお気軽にご参加ください。

参加はこちらから!
https://forms.gle/AEvANNAk91JZCfKF6

【グーグルフォーム句会(2021年の夏)】
○兼題「蛍」「黴(かび)」「枇杷」「青嵐(または夏嵐)」より3句か、それ以上
○投句の〆切:6/15(火)

兼題
・蛍(ほたる)
大螢ゆらりゆらりと通りけり 一茶
親一人子一人螢火光りけり 久保田万太郎
ゆるやかに着てひとと逢ふ螢の夜 桂信子
初めての螢水より火を生じ 上田五千石
じゃんけんで負けて蛍に生まれたの 池田澄子
・黴(かび)
光るもの優勝盃や黴の宿 久米三汀
黴のアルバム母の若さの恐ろしや 中尾寿美子
怠りし聖書の黴を怖れけり 加藤汀子
・枇杷(びわ)
灯や明し独り浴後の琵琶剝けば 石塚友二
枇杷買って舷梯のぼる夜の雨 橋本多佳子
磯の香に峙つ山も枇杷のころ 水原秋桜子
やはらかな紙につつまれ枇杷のあり 篠原梵
・青嵐(あおあらし・せいらん・夏嵐)
長雨の空吹き出だせ青嵐 素堂
青嵐人は山下にありて行く 大谷句仏
鍵かけてわが家の小さき青嵐 尾形不二子
青あらし雲もからすも横向きに 遠井俊二
夏嵐机上の白紙飛び尽くす 正岡子規

2021/01/03

あけましておめでとうございます、からピントはずれて

 おめでとうございます、が、ここまでピンとこない年の始まりって、記憶する限り初めてのことで、自分がバグったゲームの中の登場人物になったみたいです。昨年の後半は本格的に気持ちがふさいでいて、そのトーンに沿って「やりたくないことをやらないように気をつける」を実践すると完全に孤立するレベルだったので、最低限の無理をしましたが、しかしやはり無理を押し通すと元気はますますなくなる。そのうちに最低限も下回って、連絡もろくろく返さず、ずいぶん不義理もしてしまいました。出演情報すらいくつか下書きのままになってしまっており、もはやこれはお仕事として問題あるので、これからすぐに投稿しますが…我ながらまったく困ったもんです。トホホ。トホホって口で言ってる人見たことないな。