2014/04/16

「あとで見る」を消化する

 なんでこれをあとで見ることにしたんだっけかな? なんて動画がよく紛れ込んでいるけれども、まぎれもない自分がいつか「あとで見る」ボタンを押した結果が堆積していって目の前のリストになっている。そしてそれらを実際あとで見て(あるいはこれを書きながら聞いて)いるのだった。YouTubeの話です。
 それで視線を本棚に移すと、やはりここにもなんでとっておくことにしたのかよくわからない本がいくつも落ち着いており、本棚がわりといっぱいになってきていることもあって、どうにかブックオフに売る以外の方法で移動させたいと思う。「本をいくばくかのお金に換えてスペースを増やす」よりも、人にものを渡す成り行きのわからなさが好ましい。この本はこの人にあげたらいい、という遊びを思いつき次第実行したいのだけれど、なかなかばっちり思い浮かばないので、欲しい人がいればあげたい本を別にまとめながら、そのリストを書き出しておくことにした。




 こんにちは、お元気ですか?(なんでこれをとっておこうと思ったんだったっけ?)

 猿楽町の交差点から渋谷方面へ歩いていくと、旧ユーロスペースのある坂の桜並木はもう葉桜になっていて、そこを下っていかずに真っすぐ行った先のビルの上、目に入った球体はそういえばプラネタリウムだった。併設された図書館で本をさがしながら上映の時間を待って、小学生たちと並んでリクライニングシートで見たプログラムでは人間たちが地球外に生命を探す試みの歴史を説明していたのだけれど、目を覚ますといつの間にか今日の星空の解説がはじまっていた。小さいときには現実のものではなかった「少し時刻を進めてこれは今日の真夜中の星空です」がすっかり当たり前に見られる現実の空にはほとんど星が見えなかった。何回解説されても星の名前が覚えられない。何回でも真剣に覚えようとしてしまう。古代の船乗りの真剣さが私には足りない。

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